前向きに考える靖国問題

 何かと世の中を騒がしている靖国問題を、保守・リベラルを問わず識者・政治家の方々の意見を借りながら、今後の方針を打ち出してみようと思う。

 中国の内政干渉だという人がいる。確かに、中国との国交回復の時に、互いに内政干渉はしないと約束しているから、その通りではある。だがそれは、向こうが約束を破っただけであり、こちらはこちらのスタンスでやればいいのだ。また、向こうが約束を破るにはそれなりの理由があったらしいということも、読んでいただければわかると思う。いずれにせよ、こちらのスタンスを確立することが重要だ。

 靖国神社とは、要するに「戦争神社」である。欧米のニュースではYasukuni War Shrineと書かれる。西欧列強に追い付け追い越せの時代に、戦争に出征するときに「エイエイオー」と雄叫びを上げて勇気を奮い起こし、「国のために戦って散ったときには英霊として帰ってこられるのだから安心して行ってこい」と兵士に決意を促す場所だったというのは間違いない。

中川昭一氏に学ぶ日本人の感性とは

中川昭一氏は、保守の代表格とも言える政治家だった。中川氏が講演で話した靖国観を引用する。

最近、私は非常にいい話を聞きました。先日の、四川省地震。今でも災害が続いておりますし、雨が降れば洪水が来るかもしれない。安全な水もまだ十分に確保されていないという状況です。 そこに日本の救援隊が何人も行って、大変な活躍をされました。そこであったあるエピソードを私はある友人の中国人から聞きました。

救援活動中、日本の救援隊が残念ながらお亡くなりになったご遺体を発見した。 そのご遺体を引き出してきた時、日本人の隊員はみな必ず敬礼をしたり、手を合わせる。この行為に中国人は大変驚き、そして、感動したそうであります。

この話をつながると思うのですが、先日、鎌倉の円覚寺の方とお会いする機会がありました。

あの時代、元が攻めてきた元寇がありましたよね。日本は何とか元からの攻撃をしのいだわけですが、あの元寇で亡くなった人たちを祀って建てられたのが円覚寺だそうです。そしてそこには日本人だけじゃなく元の人たちも祀られています。

つまり日本人にとって、亡くなれば誰でもみんな仏様…と言ってしまってはダメかもしれないけど、みんな畏敬の気持ちを持つ対象としては同じなんだという意識が、当たり前のようにあります。

ご遺体に手を合わせる、これは日本人にとっては当たり前のことです。 ちっちゃな子供でもやりますし、私たち大人もそういうふうに教えます。 でも世界の中から見れば、それは珍しいことなんだそうです。

「そんなことは日本で当たり前だ」 と、私が友人に言ったら、大変びっくりしておりました。 「だから靖国神社があるんだ」 と言ったら、また喧嘩になりましたけれども(笑)。

ただ靖国神社の話だって、亡くなった人がどういう人であろうと、戦って亡くなった人は同じなんですよ。そこにお参りとか行くな、と言う話になる…。またこれで議論になりますから、また別の機会にお話したいと思いますが、いずれにしても、私たち日本人は、そういう感覚で生きているんだと堂々と主張してもいいのではないでしょうか。 それが当たり前の気持ちであり、行動なんだ、と。

こういった、日本人として当たり前のようにやってることを我々は是非守っていきたい。これは宗教活動というよりも、日本人の習慣です。日本人らしさとも言えるでしょう。 この「習慣」や「らしさ」を世界に広げていってもいいんじゃないか、と四川省でのエピソードを聞いて感じたわけであります。

つまり、ヒトラーの墓参りするのと、ヒトラーが正しかった間違ってたというのは、日本人の感性からすると別の次元なんだと。

この意見に反論はないが、次は別の視点から見てみよう。

 

井上ひさし氏に学ぶ靖国の問題点

ご存知の方も多いと思うが、故井上ひさし氏はものすごいリベラル派だ。この方は膨大な資料に基づいた意見を言う。感情が伝わってくるような猛烈な反対意見を引用してみよう。

小泉さん自身は靖国神社公式参拝するとかなり張り切っておられますね。首相である限り外に向かって行う言動はすべて公(おおやけ)のもの、首相としての責任のもとに行われます。例えば小泉さんが転んだとしても、それは公的に転んでいるということになります。大けがして病院に運ばれても公の存在、日本国民の意思を束ねるものであることに変わりありません。したがって、首相が私的に参拝しても、それは公的なものになります。靖国に対する国民の思いは、じつにさまざまです。どうか憲法をもとに慎重に振る舞っていただきたい。憲法をよりどころにしてください。

 憲法を率先して守らないといけない立揚にある首相が靖国に行ってはいけません。靖国神社は都知事が管轄する宗教法人です。憲法二〇条で政教分離を定めているのに首相として公式に一神社に参拝するのは異常です。

 どうしても靖国神社に行きたかったら、首相を辞めてゆっくり行けばよい。首相は憲法を守って生きようとしている日本人に対して挑発するつもりなのでしょうか。

 八月十五日には、正午に政府主催の全国戦没者追悼式があります。首相はこれと靖国神社への公式参拝とをどうしてもやりたいんですね。亡くなった人たちを思うだけでは足りないということです。靖国から追悼式を引くと何が残るかというと、A級戦犯です。追悼式では東条英機などのA級戦犯は祀る(まつ)られていません。ここから、「おまえら死んでこい」と言った戦争指導者やA級戦犯におまいりしたいという答えが出てくる。

 相手の国々の人の心をおもんばかるのは、首相の仕事です。国内のことを考えていればよいというのは戦争中のことで、戦後は憲法前文にあるようにさまざまな国と協力していくようになりまし
た。教科書問題にしても同じです。首相にはくれぐれも悔いのないように憲法にのっとって行動してもらいたい。

 小泉首相は「亡くなるとすべて仏様になる」とか「死者にたいしてそれほど選別をしなければならないのか」と発言しています。しかし靖国神社西郷隆盛も、会津軍も、大空襲による死者たちも祀っていません。靖国は死者を選別しているのです。こうした靖国神社の性格のいろはも知らないで、参拝するのは無知というより、ごう慢ですね。

 わたしたちはこれをとめないとだめです。そうでなければアジアから孤立してしまいます。参拝阻止のデモがあれば参加します。経済の構造改革なんて言っているより、まず小泉さんの精神の構造改革をしないとだめでしょうね。日本人は意識改革して本気に頑張っていかないといけません。
戦争中から意識を変えようとしない人が、国の要職についています。戦後五十年間は何だったのか。自戒の意味も込めてそう思っています。

 小泉首相は、公式参拝をやめないと、生きながらにして戦前の軍国日本の亡霊となるでしょう。

ここで井上氏が問題としているのは、下記の3点だ。

  1. 首相が公式に宗教施設に行くのは憲法二〇条の政教分離に違反
  2. A級戦犯におまいりするのは、他国の感情を害する
  3. そもそも靖国は死者を選別している

1の政教分離問題に関しては、後ほど書く。

2と3は関連する話だが、井上氏の指摘はその通りだ。

この点に関しては、亀井静香氏も同じことを指摘しているので、下記に引用する。

戦後社会を生きていく中で、何度も8月15日の意味についてはよく考えるようになった。そして、何か、日本人が日本人でなくなってしまったような違和感を覚えた。どこから日本人はおかしくなってしまったのだろうと考えた時、問題を象徴するものとして靖国神社を考えるようになった。
 靖国神社には毎年参拝しているが、それは対外戦争で命を落とされた方への感謝と慰霊の心からだ。しかし靖国神社そのものには、問題がある。それは参拝の是非やA級戦犯合祀などではなく、もっと根本的なものだ。
 明治維新以来の日本政治の問題点が、靖国神社の歴史に凝縮されている。
 そもそも、明治4年に東京招魂社として設立されて以来、靖国神社はお国のために命を落としてきた方々の霊を慰めるための施設だ。その原点には、「五箇条の御誓文」に込められた明治維新の理念がある。それは「一君万民」、「万民平等」の理念だ。お国のために戦った人間に差別などない。
 しかし実際には、靖国神社には戊辰戦争で賊軍とされた会津藩はじめ奥羽列藩同盟の人々や彰義隊西南の役を戦った西郷隆盛などは祀られていない。勝てば官軍、負ければ賊軍だが、結果はどうであれ、どちらも国を想う尊皇の心ゆえに戦ったことに変わりはない。大御心に照らせば、敵味方に関係なく、国を想う、尊皇の心を持ち、命を落としていった人々はすべてお祀りするべきだ。
 結局、靖国神社明治新政府内の権力闘争をそのまま反映した施設になっている。つまり、官軍である長州藩中心の慰霊施設、いわば長州神社というべきものだ。大鳥居を入るとすぐに長州藩大村益次郎像が立っているが、彼は彰義隊が立てこもった上野の山を睨みつけている。これが長州神社という性格をよく表している。

この点、亀井氏の意見に賛同する。基本的には中川氏の基本思想と同じだ。

亀井氏が旧中川一郎グループであったことを考えると、思想が近いのは当然と思われる。

 

安倍晋三氏に学ぶ政教分離問題に対する政府の見解

安倍晋三氏は、井上氏が指摘していた政教分離問題に関して、政府としての考え方を述べている。それを引用しよう。

国家を語るとき、よく出てくるのが靖国参拝問題であり、「A級戦犯」についての議論である。戦後六十年をむかえた二〇〇五年は、とくにはげしかった。

靖国問題というと、いまでは中国との外交問題であるかのように思われているが、これはそもそもが国内における政教分離の問題であった。いわゆる「津地鎮祭訴訟」の最高裁判決(1977年)で、「社会の慣習にしたがった儀礼が目的ならば宗教的活動とみなさない」という合憲の判断が下されて以来、参拝自体は合憲と解釈されているといってよい。首相の靖国参拝をめぐって過去にいくつかの国賠訴訟が提起されているが、いずれも原告敗訴で終わっている。

政府としては、八十五年に藤波官房長官の国会答弁で「戦没者の追悼を目的として、本殿または社頭で一礼する方式で参拝することは、憲法の規定に違反する疑いはない」という見解を示して以来、参拝は合憲という立場をくずしていない。

 

つまり、違憲かどうかは、ある程度微妙なラインであるのは間違いなさそうだ。

ついでに、安倍氏の2014/01/22のダボス会議の応答を記しておこう。

 安倍晋三首相は22日、世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に参加している各国メディア幹部らとの会合で、 
昨年末に靖国神社に参拝した理由について「いわゆるA級戦犯を称揚するためではない。そこには(戦争の)ヒーローがいるのではなく、 戦争に倒れた人々の魂があるだけ。憎しみもないし敵意もないし、人を辱めようというつもりはない」と述べた。 

 中国メディアが「戦争犯罪者を英雄だと思っているのか」と質問したのに答えた。 
首相はさらに「ただ魂を慰霊したい。その人たちに感謝したいという思いがあるだけ。国のために戦った人に手をあわせるのは、世界のリーダーの共通の姿勢だ」と説明。 
「二度と再び戦争の戦禍で人々が苦しむことがない世界をつくりたいという思いだ」とも述べた。

 

大前研一氏に学ぶ中国とのA級戦犯問題

ここらで別の視点を一つ入れよう。

日本では、他とは一線を画す存在の大前研一氏の記事を引用してみる。

かつては、戦後、日本の首相や天皇が参拝しても中国や韓国は特に問題視してこなかった。

靖国問題が浮上したのはA級戦犯が合祀されてからしばらくたってのことだ。事の発端は1972年にさかのぼる。同年、当時の田中角栄首相は中国を訪問し、日中の国交が回復した。このときに田中首相周恩来の間で交わされた合意事項の一つに「A級戦犯問題」があった。

周恩来日中友好条約締結の前提条件として戦後賠償を求めたが、田中首相はこれを拒否、すでに賠償済み(蒋介石の国民党政権に対して賠償を申し出たが蒋介石はこれを断った)との立場を取ったが、ODA(政府開発援助)という形での資金・技術供与を約束した。

その際に戦後賠償の放棄を国内向けに説明するために、周恩来がひねり出したのが「中国人民も日本国民もともに日本の軍部独裁の犠牲者」という理屈だった。つまり、A級戦犯を“日中共通の加害者”に仕立てたのだ。田中首相はあまり深く考えずに合意し、それが日中の密約になった、あるいはそれ以来ODA田中派の利権となった、と言われている。問題はこれが条約でもなく、公開された文書でもない、というところで、したがって同じ自民党であっても反田中派や、ましてや国民は、「そんなことは知らない」のだ。

しかし、78年にA級戦犯靖国神社に合祀されて「英霊」として奉られるようになった。合祀以降、天皇は一度も靖国参拝をしていないが、日本の首相の参拝は何度か行われた。

そのときには中国からの抗議はなかったが、85年に当時の中曽根康弘首相が公式参拝を表明すると中国側が反発、後に韓国も便乗して、“外交カード”に使うようになった。この靖国問題の掘り起こしは、朝日新聞など日本のメディアが首相の靖国参拝を批判するキャンペーンを張ったことが影響したとも言われている。

いずれにせよ、中国の立場からすれば、日中の両国民は同じ“被害者”という前提で友好関係を結んだのに、「話が違う」ということになる。“共通の加害者”であるA級戦犯を奉る靖国神社を国民の代表である首相が参拝するということは、日本国民全体が加害者の側に与することになってしまうからだ。

つまりもし靖国問題の犯人を一人上げるとすれば、田中角栄氏が犯人という可能性がある。大前研一氏は、この記事で、国内におけるA級戦犯問題に関して論じており、それを解決しない限り前に進めないという話をしているが、それに関しては

[教えて大前先生] 安倍首相の靖国参拝、知られざる波紋 大前研一の日本のカラクリ:プレジデントオンライン

を参照していただければと思う。

僕は靖国問題そのものの本質は、中川氏や亀井氏の意見に賛成なので、ここでは細かく取り上げない。もちろん大前氏の指摘する問題も、別途解決しなければならない問題だとは思うが。

 

宋文州氏に学ぶ中国人から見た靖国遊就館

世の中、貴重な人がいるものだ。

中川昭一氏と仲が良かった宋文州氏が、靖国に行った感想をブログでまとめてくれている。

この方は、安倍晋三氏に対しては大の批判家だが、中国国内では完全な鳩派だ。

中国人の視点は、一読に値する。

僕は、日本人は日本を愛すべきだと思います。長い歴史と勤勉な国民性を誇りにしてほしいと思います。僕が自分の祖国を愛し、誇りにするのとまったく同じ次元のことです。日本人が自分の国旗を掲揚することも、自分の軍隊を持つことにも何の違和感も持ちません。

 さらに日本人が靖国神社に行くべきかどうかは日本人の自由だと思います。「遊就館」に展示された勇士たちの生き様を見て、日本人の胸が熱くなるのは理解できます。

 しかし、あの「遊就館」で展示された写真に写された戦地は、ほとんどが僕の国でした。日本の兵士が血を流す以上に、僕の同胞たちはもっとたくさんの血を流しました。「日本のため」なら何でも尊いというならば、僕が信じてきた日本人の優しさと正義感はどこにあるでしょうか。死者の霊を慰めるならばなぜもっと精神的な空間にできないでしょうか。

 長崎と広島に原爆を落とした戦闘機が米国の博物館に展示されたことを、多くの日本の方々は不快を覚えるはずです。ただし、展示されたのは、あくまでも博物館です。仮に、その戦闘機をワシントンの「英雄記念碑」の横に置き、米国大統領が参拝するなら日本の国民はどう思うのでしょうか。

 兵器と戦史を並べる「遊就館」のある靖国神社に、日本の方々が行くのは自由です。あの戦争をどう思うかについても、日本の方々の心の自由です。しかし、「遊就館」の写真に写っている戦場だった土地に住む人達にも、心の自由があると思います。「遊就館」のある靖国神社に参拝する人に会いたくないと思うのは、まさに彼らの心の自由です。

宋文州氏の意見は、個人的には極端だなと思うことがちょくちょくあるのだが、この意見には何の反論もない。相手の立場に立って物事を考えることは、いつの時代も基本だ。「遊就館」に僕は行ったことがないが、大前研一氏も宋氏とほとんど同じようなことを言っている。以下は大前研一氏の記事を引用する。

どれだけお色直しをしても、日本帝国主義を象徴する「戦争神社」として創建されたオリジンは色濃く残っている。靖国神社に併設されている「遊就館」という施設をご存じだろうか。ゼロ戦や人間魚雷など戦争で使われた兵器や戦争関連の資料、遺物遺品がところ狭しと展示されている軍事博物館である。

過去の戦争における日本の正当性をアピールし、「もう一度戦争を行えば日本は負けない」と言わんばかりの展示の仕方は、左翼全盛の時代に育った世代にとっては、“異世界”に迷い込んだような感覚に襲われる。実際、戦後の左翼全盛期に追い詰められていた右翼は、この場所を“心の拠り所”にしていたわけで、遊就館のような施設を持ち合わせている靖国神社で平和や非戦の祈りを捧げるのは、あるいはそれを参拝の口実にしている安倍総理のレトリックは、論理矛盾していると言わざるをえない。

論理矛盾してるとは思わないが、あの大前氏がここまで言うとは、遊就館はよほどの施設のようだ。東京出張の際にでも一度行ってみるか。

 

遊就館に関しては、2014/02/12の予算委員会での日本共産党笠井亮議員と安倍氏のやり取りを記しておこう。同じ質問が多いので、多少の省略をしている。語尾変更等もしている。

笠井氏は、靖国神社併設の展示施設「遊就館」発行のパンフレットが日本の侵略戦争について「わが国の自存自衛のため、自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった」と正当化していることを指摘。

安倍「遊就館靖国神社は別でありまして、私がお参りしたのはあくまでも靖国神社です。これは、明治以来の戦争の犠牲者の方々のお祀りしている神社でありまして、私はそこへお詣りをして参りました。」

笠井「歴代の遊就館部長は、靖国神社の関係者です。靖国神社部門として、靖国神社の考え方を展示しているのが、遊就館です。あの戦争は正義の戦争だったと考えておられますか?」

安倍「先の大戦において、とりわけアジアの人々に対して、多大な損害と苦痛を与えたことの反省の上に立って、今の自由で民主的で、法を尊ぶ国を作ってきました。この再建の歩みは私の誇りとするところです。そして、基本的には歴史観については、政治の立場にある者は、謙虚でなければならないと考えています。政府が一定の歴史観を決めるということではなくて、歴史家に任せるべきだろうという考えを持っております。」

笠井「あの戦争は間違いだったとはっきりおっしゃらないのですね。あの戦争は侵略戦争でした。これを決して繰り返してはならないというのが、戦後の出発点です。ところが、靖国神社は、戦前は正しかったと言っている。不戦の誓いに最もふさわしくない場所ではありませんか?」

安倍「何度も言う通り、私は宗教法人の考え方、歴史観に関して、コメントをするべき立場ではない。靖国神社の境内にある本殿の横の鎮霊社は、世界中の全ての戦争における戦没者の霊を安めるための建物でありまして、私はそこへもお祈りしてきて参りました。鎮霊社は、日本と戦って亡くなられた方もお祀りしております。鎮霊社も含めた総体が靖国神社であろうと考えています。」

何だ、鎮霊社ってのもあるのか。話がますますややこしくなってきたぞ。だが、遊就館に行ったわけではないと発言する辺り、遊就館がマズいってのは認識してるんだろうな。

そもそも宗教施設に国の行った戦争の死者を祀ったりするのがマズいんじゃないのか?安倍氏の言う、宗教法人の考え方にコメントをすべきでないという意見は憲法的には最もだとは思うが。両方の発言に理解は示せるが、そのままじゃ永久に同じ問答することになるよ。もっと建設的にならないとダメだ。

 

司馬遼太郎氏に学ぶ靖国の起源

ここまで調べてきたが、そもそも靖国神社とは何ぞやというお話は避けては通れない。

これは元々、適塾出身の大村益次郎氏の考案によって創設された施設なのだ。

ここは、故司馬遼太郎氏の遺著「この国のかたち」から引用してみよう。

幕藩時代、幕府を公儀といい、諸藩は幕府の次元からみれば、法的に"私"であった。大名領は"私領"とよばれたりした。この"法理論"でいえば、越後や東北の山野で屍を曝した官軍諸藩の死者たちは、私的な存在になる。極端にいえば、藩同士の私戦による私死という解釈も成り立ちかねない。
戊辰戦争の結果、それまでの流動的存在だった新政府が、なんとか内外に公認される政府になった。
内実はまだ封建体制のままながらも、戊辰戦争の勝利によって"新国家"ができたと考えてよく、その新国家としては、日本におけるあたらしい"公"として、戦死者たちの"私死"を、"公死"にする必要があった。でなければ、あたらしい日本国は、"公"とも国家ともいえない存在になる。
戊辰戦争がおわった明治二年、九段の上に招魂社ができたのは、そういう事情による。祭祀されるものは、時勢に先んじて、いわば"国民"のあつかいをうけた。さらにいえば、九段の招魂社は、日本における近代国家の出発点だったといえる。
発議者は、長州の大村益次郎であった。ついでながら、かれはこの発案をふくむ国民国家(藩の否定)思想に反対する激徒のために、この年のうちに暗殺される。

死者を慰めるのに、神仏儒いずれにもよらず、超宗教の形式をとったのは、前代未聞といっていい。大村は公の祭祀はそうあるべきだとおもっていたにちのがいない(この招魂社が、十年後の明治十二年別格官幣社靖国神社になり、神道によって祭祀されることになる)。
余談ながら、長州の農村は宗教色のつよい風土で、隣りの安芸(広島県)とならび、"長州門徒"などといわれて浄土真宗の信仰がつよかった。だから大村には宗教への理解は十分にあった。であればこそ超宗教の性格をもたせたのに相違ない。
もう一つ大切なことは、招魂社を諸藩から超越させたことである。当時、まだ二百数十藩が厳然と存在したこの時代に、諸藩の死者を一祠堂にあつめ、国家が祈念する形をとったのは、前例がない。大村にすれば、統一国家はここからはじまるということを、暗喩させたつもりだったのにちがいない。
大村は、さきにふれたように、生者の世にも諸藩を超越する国民軍をつくろうとしていた。ただ世論への刺激をおそれ、木戸たち以外には秘していた。

歴史は巨細に見なければならない。その後、ただの思想になる国民国家思想でさえ、明治二年の段階では、政治家一人が死ぬほどの危険な思想だったのである。
戦後の新憲法で、九段の招魂社の後身である靖国神社は、一宗教の"私祀"のようなあつかいをうけている。大村の素志、憐むべしといわねばならない。

大村先生、あんたホントすごいっす。 靖国は元々は宗教を超えた施設だったのだ。

これが、明治12年の改称列格によって神道の施設に変わった。

誰が変えたのか知らないが、これ変えた人が犯人じゃないのか。ホント誰ですか。

もしこの変更がなければ、憲法20条の政教分離の問題は起こりえなかったはずだし、安倍氏も国会答弁ではっきり答えられるのではないか。

さらに言えば、GHQ政教分離政策によって、靖国神社そのものがアンタッチャブルになってしまったことも大問題だろう。アンタッチャブルになったことで、国家神道を極めたい方々からは、ある意味都合のいい施設になったのかもしれない。アンタッチャブルだから、遊就館は潰されずに済むという考え方もできる。戦前の靖国神社は、内務省と海軍・陸軍の共同管理下に置かれていた。つまり国家神道なわけだが、GHQ政教分離する際に、宗教ではなく政治の方に分類しておいてくれたら、と思うのだ。このままだと根本的な解決がとても難しい。

 

これからどうしたら良いのか 

解決はかなり難しいが、基本方針は、亀井静香氏の方針に異論はない。つまり、

日本人は、亡くなった人がどういう人であろうと、戦って亡くなった人は同じだという感覚で生きていることを前提とした、正誤からは中立した施設にする。

賛否はあるかもしれないが、僕個人は違和感は感じない。僕個人はそもそも宗教施設などいらないという考え方なので、心の中で想っておればよいと思う。坂本龍馬もいた、大村益次郎もいたし、高杉晋作大久保利通もいた。あんたたちのおかげだよって想ってればいいんだと。でも、そもそも寺や神社に行きたい人がいるんだから、それを否定する気持ちはさらさらない。やっぱり行かないってのは、根本解決にならないと思う。行きたいけど、遠慮して墓参りに行かないってのと同じことだ。それは変な話だろうし、気持ちよく行けるようにすべきだ。

 

もう一つ、やっぱり死者を神道に統一されるのは僕は納得できない。

そこは大村先生を断固支持。

 

現状でまとめると、

・行きたくない人はもちろん行かなければいい

・公人としてどうしても行きたい人は、「靖国にはいろいろ問題はあるかもしれないが、政教分離によってアンタッチャブルになっている。でも死者の魂は靖国にあるから、行かせてくれ。」というような趣旨を、説明してから行けばいい。要は誤解されないようにしてくれりゃいい。

というところかなあ。

それで話を多少建設的に持っていくと、この4つをやればそこそこ理想か。

  1. 神社ではなく、元の超宗教の施設に戻す
  2. 戊辰戦争西南戦争の敗者たちを合祀する
  3. 外国には、これが日本人の感性だということをしっかりアピールする
  4. 正誤に中立でないのであれば、遊就館は、博物館として別の場所へ移す

これ全部やれたとしても、 今度は遊就館問題になりそうだけどね。でもまあ靖国問題ではなくなるし、タイミング見計らって参拝するようなせこいやり方じゃなくて、首相であれ何であれ、堂々と参拝できるはずだ。

と、横から見てたらこんな偉そうなこと言えるが、首相はきっと僕らの想像を遥かに超えて大変だよね。

さあ、これで僕の案を実行しようとなると、 エベレストなんだろうな。そもそも、1,2,4を政治の立場から行うとなると、憲法20条の違憲だよね、きっと。結局この問題は、最後には絶対に政教分離の問題にぶち当たる。

 

僕は国際世論や国際情勢を一切考えずに書いたけど、やっぱり少なくとも政治家は考えなきゃいけないだろうし。前向きに考えようとしたけど、ここらで俺の優秀な脳みそがとろけた。

 

 

この本、すごく面白かったー。 

どうした、日本―中川昭一と宋文洲の不愉快な対話

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